2009年11月5日木曜日

無でいたい

最近、人と話をするのがおっくうになってきました。

特に職場。

1日ずっと無言で・・・というのは無理があるのはもちろんですが・・・私、思うんですけど「かまってほしい、気にして欲しい」という願望が根本にある人ほど、その想いが体中から出て(オーラか?)いるように見えます。

まるで体中から花火が打ちあがっているような・・・観て!観てぇ~!と、そんな感じ。
傍目からみるとそれはかなり”ハイテンション”であり、”オーバーアクション的な言動&行動。
声のトーンも甲高く、身振り手振りも大きい。

もしくは沢山の触手のようなものが出ている・・・ちょっとグロテスクな表現ですけど。

他者からの意識をほしがっている人ほど、それは不自然に見え、同情や仕方ないかなという哀れみの上にちょっぴりおこぼれをもらうような感じです。頑張って打ち上げた花火にしては観客も少なく、歓喜もなく・・・本人としては物足りなさを感じるのではないでしょうか?

私は、現在のモードが「なるべくなら話たくない」という状態なのですが、そんな時にかぎっていろんな人がかまってきます。

好きな人、そうでもない人・・・いろいろですが、どちらにせよ意識を向けたり気を使うことがとにかくめんどくさい。
「それをしたからって(この話をしたからといって)どうなるの?」と聞きたいくらいです。

そして私はたまに誰かがくだらないことを言ってきても無視してしまいます。
応える義務も意味もない・・・ただの上辺だけの会話だなと思うときにそうしています。
相手の自己満の為にエネルギーを使いたくないというのが理由で。

無視しても、自分が意見する必要のある時はこちらから言います。
それ以外の「今日は寒いね」だの「誰々がどうだの」という話はほんとどうでもいいです。

以前は親友に、溜まった愚痴は定期的に吐き出していたのですが、最近はそうしないことにも慣れ、新しいやり方を学んでいるようです。
そもそも、不満や愚痴を溜めないようにシャットアウトしてしまえばいいだけで。

その結果が↑「聞かない」「応えない」という行為に至ったと思うんですけどね。

本気で”我がまま”な人間になりつつあります(笑)

以前は愛想がよくお人好しであった私ですが、徐々に気難しいお天気屋と認知される日もそう遠くないかな。

それでもめげずに?図々しく話を聞け!という態度で接してくる勘違いな人もいますが、9対1の割合でシカトします。9割は独り言を言わせておいて、1割りだけ応えます。

その1の割合を少しでもオーバーすると捕まりますので。

私は猫のような性格で、好きな人にはこちらから寄っていきますが、そうじゃない人には絶対に近寄りませんし、間違っても擦り寄ったりもしません。
それを分かっている人は誰もいないと思います。
誰でもそうですが、ちゃんと話を聞いてくれる人は好きでしょうね。
ただ、それが自分の話を聞いてくれるけど、相手の話は聞かないという人は好きでしょうか?
好きじゃないけど優越感には浸れるかな。
「誰かの役になっている。誰かに頼られている」といったような。

私はちゃんとギブ・アンド・テイクできる人がすきです。たとえ猫みたいな私でも。

不思議なのですが、私と個人的な話をする人は他者のことを悪くいいます。
まるで自分だけが特別な理解者であるといわんばかりに。
私、そういう人が一番信用ならないと思いますけどね。

”特別な存在”というのは自分が自分に与える称号です。
他者には符号しません。


今日も今日とて、無言でやり過ごすことは難しそうです・・・・