最近、”黙秘”が癖のようになってきました。
まわりにいる大人も子供も信じてなかった幼少の頃を思い出します。
ぼんやりと違う世界にいることが多くなり、私が放っているオーラ?も以前とは変わったようで、私はまわりをよく見てないけど、まわりは私のことをよく見ているのを感じます。
以前の私の方が居心地が良かった人は少し距離を置き、今の私の方が良い人は新たに寄ってきます。
新たな関係性は私の過去を知らないので、過去と比べて私を見ないし、第一知らない。
今ここにいる私しか知らない為、一番に私がらくでいれます。
他人のことに関しては口が固い私ですが、自分のこととなると赤裸々に何でも話してしまうのは私の短所でもありましたが、今では自分のことさえも語らなくなりました。
ちゃんと消化できてるのかは?ですが、いつの間にか割り切った考え方を身につけたようです。
たまに自分のプライベートのことを「あれからどうした?」と聞かれることもありますが、「別に」の一言で済みます。
一から十まで話したところで、私にとっても興味本位なだけの相手にとっても何の足しにもなりません。
私自身、相手に期待する気持ちがあるから何でも話していたんだろうと思います。
でも今は、何の期待も無くなりました。
私は幼少の頃よく言われた「何考えてるのか分からない子」に戻っているのでしょうか。
好きなものも、ほしいものも、夢も希望も嫌なことさえ絶対に誰にも言わなかった変な子でした。
子供ながらに「それを言ったからって・・・」と、既に悟っていたのかしら?
いやたぶん、誰にも心を開いてなかったんでしょうね。
今はそれとはまたちょっと違います。
信じてた人にあれやこれや好きな人のことや夢や願望を全部話したあげくに、ひとつも叶わず、最終的には馬鹿にされ、話のネタにされただけという経験を経て、今の黙秘に至ると思われます。
私はいつかこうやって何食わぬ顔をしながら凄い変化を遂げます。
なんだかそんな気がするんです。
私が望むものは自分と神様と宇宙が知っていればいい。
なぜならそれらが連動することで望みは叶うからです。
望みを知る煩悩を持つ生き物は私だけで十分です。
他者がそれを知るということはそこからまた別の煩悩の連鎖が始まってしまう。
その連鎖は私の望みを妨げてしまうものにもなりかねません。
私はこうして今、自分の世界にはまっています。
自分で創造していく世界。
誰にも邪魔されず、静かな世界。
何も聞こえず見えない不安な世界でもあります。
でも、ここで開き直りさえできればこっちのもんです。
もうそろそろ頑なになっているのも限界なので、開きつつあります。
明日越えれば全開になるでしょう。
「荷が重い」んです正直。
知人の言葉に自分の気持ちと同じだとシンクロ・ニシティーを感じました。
荷が重ければ下ろしてしまえばいいんです。
何もかも予定通りにいかないのであれば、誰かにお任せしちゃえばいい。
修理の見積もりも来ない、不用品回収は予想以上に高額出費・・・もうお手上げです。
最後の頼みの不動産屋さんに全部任せます。
もう「あぁぁしようこうしよう」と計画することはやめます。
希望だけを伝えて、あとは宇宙へお任せします。
もう私は思い残すことはありません。
やるだけやりました。
自分の限界を知ることもできました。
はじめての体験の連続だった11月。
長かった~~~~~~~~~~~~
今は無性にお墓参りに行きたい。
家族に会いたい気分です。